#196/598 ●長編 *** コメント #195 ***
★タイトル (amr ) 03/12/03 02:59 (419)
暁のデッドヒート 7 いくさぶね
★内容 03/12/03 03:22 修正 第2版
彼我の距離は、短いところで一〇〇〇〇メートルを切っていた。大和の桁外れの防御
力を目の当たりにした米艦隊の果敢な突出が、このような交戦距離を現実のものとして
いた。
大和の左舷中央部に、次々と十四インチ砲弾が飛び込む。さすがに一二〇〇〇以上も
離れているカリフォルニアからの射弾は装甲で弾き返されたが、九五〇〇で放たれたミ
シシッピーからの一撃は、四一〇ミリの傾斜装甲を貫徹して主要区画内部で炸裂した。
ただし、ここまでの間に大和はミシシッピーに対して五発の四六サンチ砲弾を直撃し
ていた。煙突は上半分が消失し、上甲板はいたるところで吹き飛ばされ、水線下を抉っ
た一発は一〇〇〇トン以上の浸水をもたらしていた。
さらにこのときクロスカウンターで放たれた六発の四六サンチ砲弾は、うち二発がミ
シシッピーを直撃。一発はB砲塔の前楯を叩き潰して正面衝突したコンボイのような姿
に造り替え、もう一発は後檣楼をまるごと粉微塵に粉砕して右舷側の海上へと吹き飛ば
した。
正面から殴り合っていた二隻の巨艦が、ほとんど同時に左舷中央部付近から炎と黒煙
を吐き出して悶える。
「消火急げ!」
「弾着……命中、少なくとも二!」
応急班が駆け回って火災と浸水の対処にあたり、いまだ健在な主砲が眼前の敵に引導
を渡すべく大重量の徹甲弾を弾き出す。
ニューメキシコの舷側に新たな破孔が開いた。前檣楼直下を深々と抉った一撃は、罐
室二つを丸ごとスクラップにして下部艦橋に火炎地獄を現出した。さらにもう一発が左
舷前部をA砲塔のバーベットごと正貫して前部弾薬庫で炸裂。この一撃がミシシッピー
にとっての致命傷となった。
主砲の残弾に榴弾が多かったのが災いしたのか、誘爆は盛大なものだった。船体の破
壊が進行していたこともあって爆風は破孔から逃げ、外面的な構造的破壊はそれほどで
もなかったものの、人員の被害は凄まじかった。さらに、猛烈な火災が発生してダメコ
ンの手がつけられない。艦内の殆ど全ての区画を炎と海水に蹂躙されたミシシッピー
は、目標・大和まで九〇〇〇メートルの地点で左舷に傾斜して動きを止めた。
ウェイラー少将は、敵艦の指揮官に素直な羨望を覚えていた。味方が置かれた圧倒的
な劣勢を覆し、数に勝る相手と互角に殴りあった末の最期。
「戦士の誉れってやつだな、あれは」
ビッグ・セブン同士の戦いは、決着の時を迎えていた。長門は確かに、現在でもなお
世界最強クラスの戦闘力を備えた強力な戦艦だった。だが、先にサウスダコタとの激闘
で深手を負った彼女にとっては、ここでまた二隻のコロラド級戦艦を相手に至近砲戦を
演じるのは限界を超える離れ業だった。
数限りない打撃を受けた装甲、そして戦闘配置につきっぱなしの乗組員達の疲労。一
晩経っても鎮火していない火災による被害も、決して無視はできない。高熱に晒された
装甲板や隔壁は、本来の強度を失っていたからだ。
それらの消耗がもたらした結果が、この現実だった。
前楯五〇〇ミリの装甲でがっちりと固められた砲塔は未だに前甲板の二基とも生きて
いたが、前檣楼は三発の命中弾を受けて大破し、跡には無意味なねじくれた鉄塊の寄木
細工のような物体が立ち尽くしている。補助火器は左右両舷とも完全に薙ぎ払われ機銃
一丁残っていない。さらに艦首部にまとめて開いた破孔のために五〇〇〇トン近い浸水
が生じ、上甲板は海水によって洗われていた。
長門の主砲が、装填を終えたのか仰角を掛け直すのが見えた。状況からしてまともな
照準が付いているとは思えないのだが。
「これ以上見ておれん」
一瞬だけ瞑目してそう呟くと、ウェイラー少将は命じた。
「楽にしてやれ。丁重にな」
ウェストバージニアの二基の主砲塔が咆哮した。残る二基は、黒煙を吐き出す噴火口
のような大穴に姿を変えている。
僚艦のメリーランドが放った分と合わせて、十二発の十六インチ砲弾が着弾。水柱と
閃光に包まれた長門は、しかし最後の力を振り絞るようにして、炎の中から八発の四一
サンチ砲弾を送り出した。
それだけを為し終えて彼女は力尽き、動きを止めた。だが、その主砲身だけは、なお
も誇らしげに高々と掲げられていた。
最接近してきたミシシッピーを片付けたものの、大和の被害状況は想像以上に深刻な
ものだった。艦首からの浸水は、荒天による波浪の勢いも手伝って一〇〇〇トンに達し
ていた。舷側からの貫通弾で艦内区画に発生した火災は、左舷高角砲弾薬庫に迫ろうと
している。度重なる主砲発砲のために甲板上の消火作業も困難を極めていた。
「まずいな……」
森下少将が呟く。
右舷のコロラド級戦艦二隻が、艦尾方向に回り込みつつあった。第三砲塔が使用不能
となっている大和にとっては、絶体絶命一歩手前とでも言うべき事態だ。まずいことに
甲巡や駆逐艦までがぽつぽつとこちらに向かってくるのが波間に見えた。つまり、彼等
を押さえ込んでおくべき味方の水雷戦隊は、その任務の遂行に支障をきたすほどの損害
を受けたことを示している。
さらに、このような場合に最後の防壁として機能するべき重巡戦隊は、突撃開始当初
から水雷戦隊の補強策として敵隊列への斬り込みに投入してしまっており、現在は護衛
空母を追い掛け回すのに熱中している。殿の長門はコロラド級二隻との殴り合いで沈没
寸前だ。本陣と言うべき大和は、丸裸の状態で敵中に孤立しつつあった。
森下少将は、接近しつつある敵部隊の陣容にざっと見当をつけた。コロラド級は、第
一戦隊の隊列の背後に向かっている。左舷からは、ニューメキシコ級戦艦の残骸の陰に
隠れるようにして、カリフォルニア級が一隻。さらに、前方から重巡が二隻。波間に見
え隠れする駆逐艦の群れは、もう数える気にもなれない。
このときばかりは、前年に行った対空火力強化のための改装が悔やまれた。この状況
でもっとも威力を発揮したであろう両舷の副砲塔が撤去されてしまっていたからだ。舷
側の補助火器群は、左舷側はほぼ全滅、右舷側も著しく数が減少している。おまけに艦
首方向に据えられていた一番副砲塔はリー艦隊との砲戦で吹き飛ばされてしまってい
た。大和の火力は右舷側の高角砲数基と後部の四番副砲塔をのぞけば、威力こそ絶大な
もののひどく取り回しの悪い主砲しか残されていなかった。
炎上を続けながら浮いていた長門が、一気に艦首を沈み込ませた次の瞬間に大爆発を
起こして二つに折れた。
「長門、爆発しました……!」
後檣からの報告は涙声だった。古参の下士官の中にも、硝煙や血糊などで汚れた頬を
濡らす者が少なくない。「日本の誇り」とまで謳われた大戦艦の喪失は、それを目にす
るものに大きな衝撃を与えていた。
(くそっ、いよいよもって敵中孤立だ)
宇垣中将と森下少将は、揃って眉根を寄せた。なにかこの状況を打破する手立てはな
いものか。
左右から挟み込むように敵戦艦が回ってきている。それに甲巡が後続。殿として後背
を任せていた長門は、見てのとおり沈んでしまった。畜生、これで味方の戦力は前方の
乱戦の真っ只中にしか──
……前方?
「あ」
思わず、間の抜けた声が森下少将の口を突いて出た。
(なんだ、そんなことか)
宇垣中将も、突然気付いた。
前方の味方と合流してしまえばよいのだ。確かに敵戦艦は両舷から後方へ回りつつあ
るが、逆に言えば真正面は駆逐艦が何杯かいるだけでガラ空きだ。長門という重石が取
れたことで、大和は行動のフリーハンドも得ている。なにより、このままこの場に居座
って後方至近距離から戦艦主砲で撃たれるよりも、乱戦の中に潜り込んでしまったほう
が状況ははるかに改善するだろう。
「長官、突破しましょう!」
森下少将の声に、栗田中将も頷いた。
「最大戦速!」
「しかし艦長、それでは浸水が」
「構わん、一〇分も持てばいい! 艦首部、浸水増加に備え!」
数秒後、六四〇〇〇トンの巨体が僅かに震えて徐々に速力を上げ始めた。
「しまった!」
やおら増速した敵艦を見て、ウェイラー少将は己の過失に気付いた。
「艦長、面舵変針!メリーランドにも連絡だ!あいつを射界から外すな!」
それまで十二ノットそこそこで緩やかに前進していた大和が、二十ノットを超えると
ころまで速力を増していた。
(ナガトにとどめを刺したのが裏目に出やがった!)
右舷の海上を見つめる彼の視線の先で、カリフォルニアとのすれ違いざまに距離
一〇〇〇〇で大和の主砲が火を噴いた。直後に生じた命中弾はカリフォルニアの司令塔
を爆砕して、ウェイラー少将の後悔をより裏付けのあるものとした。
正面から突っ込んできた巨艦の姿に驚いたのか、数隻のDEが算を乱したように転舵
して針路を外す。右舷側に逃れた一隻には、生き残っていた高角砲が行きがけの駄賃と
ばかりに砲弾を撃ち込んでいく。マスト基部に命中して火災が発生。機銃座で誘爆が発
生したのか、曳光弾が放物線を描いて飛び散った。左舷側の一隻には、後部の四番副砲
から十五.五サンチ砲弾が放たれる。水線付近に直撃を受けた護衛駆逐艦は、左舷に傾
斜を生じてよたよたと危なっかしい様子で離脱を始めた。
「逃がすな!」
メリーランドとウェストバージニアが発砲。距離は一三〇〇〇まで開いている。一発
が第三砲塔に命中したが、前楯と天蓋の境目付近に命中した唯一の直撃弾は、そのまま
天高く弾かれていった。
さらに、後続するオルデンドルフ少将の旗艦ルイスビルと僚艦ミネアポリスが八イン
チ砲を撃つが、こっちは牽制にもならない。
「やはり化け物だ……」
青ざめるオルデンドルフ少将に追い討ちを掛けるように、緊急の通信が飛び込んでき
た。
「スプレイグ隊より緊急! ベクター一一○に新手の敵艦隊を発見!巡洋艦三、駆逐艦
すくなくとも三、ならびにフソウ級戦艦一! 我、砲撃を受けつつあり! 至急来援を
乞う!」
クリフトン・スプレイグ少将が座乗するファンショウ・ベイは、やっとのことで利根
と熊野の魔手から逃げ延びていた。追いすがるように二十サンチ砲の水柱が後方に上が
るが、もう大丈夫だろう。駆逐艦部隊をあらかた制圧して戻ってきたペンシルバニアが
側面から援護してくれている。二隻の敵巡洋艦は、そちらに気を取られて護衛空母への
追撃の手を緩めざるを得なくなっていた。
「どうやら、ジープを棺桶にする羽目にはならずに済んだな」
安堵の息をつくスプレイグ少将。
「空母部隊を集合させろ。早いところ退散するぞ」
このまま一目散にレイテへ逃げ込んでしまうに限る。火器らしい火器も持っていない
こんな船では、駆逐艦が相手だって絶体絶命の危機なのだ。戦艦同士が殴りあうような
戦闘に巻き込まれて、沈められたのがガンビア・ベイとホワイトプレーンズだけで済ん
だのは奇跡かもしれない。
味方の駆逐艦が張った薄いスクリーンの向こうから、セント・ローとキトカン・ベ
イ、すこし遅れてカリニン・ベイが姿を見せた。どの艦も硝煙で薄汚れ、至近弾で損傷
してはいるものの、戦闘航行に支障のある損害を受けた艦は皆無だ。
「どうやら、本格的に我々は運がよかったみたいだな」
そうして航行隊形を発令しようとしたスプレイグ少将の視界が、一瞬で灰色のスク
リーンのようなものに覆い尽くされた。一瞬遅れて、叩きつけるような轟音と衝撃波が
続く。
スプレイグ少将の表情が凍りつき、数秒ののちにそれは恐怖と絶望へと変化した。
願わくば、これがペンシルバニアの誤射であってくれないものか。そんな混乱した思
考が辿り着いた望みも、たちまち否定された。
左舷方向に現れた複数の艦影。そんな方角に味方はいない。スプレイグ少将の目に
は、それは破滅の使者のように見えた。
ほっそりとしたパゴダ・マストを従えて、三隻の巡洋艦と無数の駆逐艦がこちらに向
けて突撃を開始していた。
「前方、敵空母が炎上中」
「水雷戦隊は、派手に暴れたようだな」
乱戦に突入した大和の眼前に現れたホワイトプレーンズは、油を浴びた枯れ木のよう
な凄まじい火炎に包まれていた。火勢が強すぎて消火の駆逐艦も近寄れず、見捨てられ
た艦の周辺には、舷側から海に飛び込んだ数少ない生き残りが浮いている。
「味方艦を探せ!」
放っておいてもあの空母は沈む。そう判断した森下少将は、味方との合流を急いだ。
駆逐艦にせよ、重巡にせよ、合流してしまえば戦場を一気に制圧してレイテに急行する
こともできるだろう。
それが、知らず知らずのうちに油断に繋がっていた。
「くそっ、煙が邪魔だ」
見張りが悪態をつく。航空燃料タンクに引火したホワイトプレーンズの残骸は、猛烈
な黒煙を吐き出していた。一帯に立ち込めたそれはちょうど煙幕となり、戦場の視界を
遮っている。
そのため、大和の誰も発砲炎を見ることはできなかった。
ペンシルバニアが煙の塊の反対側から電測によって距離八五〇〇で放った第一斉射
は、完全な奇襲攻撃となったのだ。
十二発の十四インチ砲弾のうち、命中したのは一発だけだった。
だが、この一撃は大和の艦首付近、露天甲板直下の非装甲部を左舷前方から抉るよう
に貫通して信管を作動させ、クリッパー式の舳先から優美なシアを描いていた艦首部分
を力一杯絞った雑巾のような無残な姿に変えてしまった。
「戦艦だと!」
奇襲を受けた衝撃も大きかったが、それ以上に大和にとっては被弾によるダメージの
ほうが深刻だった。二四ノットの全速航進によって負荷の掛かっていた隔壁が、被弾の
衝撃と船体の歪みによって一気に破断し、さらに二〇〇〇トン近い浸水が発生していた
のだ。
「まずいぞ、応急班急げ!」
副長が、血相を変えて叫ぶ。
各所に亀裂の入った艦首部分からの浸水は、一向に収まる気配がなかった。都合の悪
いことに、大和級戦艦は構造的にこの近辺の隔壁強度があまり頼りにならない。
「砲術、測距まだか!」
「今やっとりますっ」
「敵艦、視認! ペンシルバニア級戦艦一!」
「敵甲巡二、左舷より突入してくる!」
「砲術!」
「一番、二番、射撃準備よ「撃ェ──っ!!」」
射撃準備完了の報告ももどかしく、森下艦長が怒鳴った。その直後に、ペンシルバニ
アからの砲撃が着弾。前甲板をぶち抜いた十四インチ砲弾は兵員室で炸裂し、露天甲板
を数メートルの範囲にわたって吹き飛ばした。
加えて、そこにデンバーとコロンビアからの六インチ砲弾がばらばらと飛んでくる。
装甲を破る威力こそないが、弾量が多いために甲板上での作業が危険になっており、応
急に掛かることができない。それに、万一破孔にでも飛び込めば致命傷になりかねなか
った。
(ぬかったわい……!)
森下艦長が顔を顰めたとき、敵隊列後尾のコロンビアが大口径砲の水柱に包まれた。
「左舷に複数の大型艦っ」
「識別急げ!」
「これは……山城! 第二戦隊です! 続いて発光信号!」
『ワレ第三部隊。遅参御容赦サレタシ』
志摩中将麾下の那智と足柄は、砲戦を確認すると同時に戦闘加入に向かっていた。左
近允少将麾下の第十六戦隊を引き連れて、西村艦隊本隊の前方を突進する。レイテは目
前だったが、敵水上部隊と邂逅したからには交戦を躊躇する理由は存在しない。
「前方、敵空母四、戦艦一、甲巡二、駆逐艦四!」
「好餌! 全艦突撃だ!」
そう叫んでしまうあたり、彼らの戦意は極限といえるまでに高揚していた。こちらは
重巡三隻、軽巡一隻、駆逐艦一隻の小勢に過ぎないというのに、那智以下の五隻は脇目
も振らずに敵隊列目掛けて薩摩示現流よろしく斬り込んで行く。
その頭上を追い越して、山城と扶桑の十四インチ砲弾が飛ぶ。
悲惨なのは突撃を食らった米艦隊のほうだった。ブリキ缶のような護衛空母の周囲に
次々と超特大の水柱が奔騰し、巡洋艦と駆逐艦には中口径弾の雨が降り注ぐ。
「戦艦部隊は何処に行ったんだ!」
「助けてくれ、ビッグガンに狙われてる!」
「神様! 僚艦がやられた!」
スプレイグ隊の護衛空母から悲鳴のような通信が発せられた。旗艦ファンショウ・ベ
イは艦尾の五インチ砲座をスポンソンごと毟り取られ、セント・ローは飛行甲板から舷
側に貫通する大穴を開けられた。カリニン・ベイに至っては、艦首部分の船体そのもの
をごっそりと持って行かれてしまい、大傾斜を生じて停止している。
「なんてこった……」
カラカラに乾いた声で、スプレイグ少将はようやくそれだけの言葉を喉から搾り出し
た。彼の目の前では、艦首を沈み込ませたカリニン・ベイの格納庫に開けられた破孔か
ら搭載機のアヴェンジャーが、周辺の甲板や壁面にしがみついた乗組員を巻き込み、踏
み潰しながら、次々と海へ落下していた。
「だんちゃーく! 近……近……命中一!」
見張りの口調からも、着弾観測に手間取っているのがわかる。いくら三〇〇〇〇トン
を超える大型艦とはいえ、この時化の只中で前檣楼のトップともなれば揺れ方は相当な
ものだ。扶桑・山城とも、新兵の大半は船酔いでへばっているような状態だった。たっ
た今報告を送ってきた古参の兵長にしても、双眼鏡の焦点を合わせるのにずいぶんと苦
労していた。
「砲撃効果あり! 敵空母、大傾斜!」
「何ッ」
つられて双眼鏡を構えた西村中将の視界の中で、艦首から上構前部をごっそりと削り
落とされた敵空母が、艦首から海中に突っ込まんばかりに傾いているのが見えた。
うねりに乗って下を向いた破孔から艦載機と一緒に、引火した航空燃料らしき炎の帯
と、人間の形をしたものが零れ落ちる。
「やった……やったぞ!」
誰かの感極まったような叫び声をきっかけに、山城の昼戦艦橋で鬨声が上がった。
「浮かれるな、敵はまだ残っているぞ!」
篠田少将の一喝で空気は引き締まったが、直後にそれを裂いて飛翔音が響き渡り、四
本の水柱を出現させた。敵部隊を射程内に捉えた扶桑が射撃開始。一番奥に位置してい
た空母のアイランドが、蹴飛ばされた積み木細工のようにバラバラになって遠くの海上
へ飛んでいった。
「一時方向、敵甲巡に魚雷命中!」
「敵駆逐艦群、避退中の模様」
さらに報告は続くが、その直後に不吉な一報が入った。
「四時方向、敵戦艦すくなくとも二隻接近しつつあり! 大和に敵弾集中!」
さすがに主力艦隊旗艦だけあって、ペンシルバニアに対する大和の反撃は迅速におこ
なわれた。西村・志摩両艦隊の牽制の下で、素早く照準を定めて発砲。至近距離での四
六サンチ砲弾の破壊力は絶大だった。ペンシルバニアの舷側中央部、主要区画の中で一
番装甲の厚い部分をまともに貫通した重量一.五トンの凶器は、ボイラー一基を背後の
隔壁ごと吹き飛ばして隣接する罐室にまで飛び込み、そこでようやく信管を作動させ
た。
結果、ペンシルバニアの推進器のうち右舷側二軸が停止。二〇ノット近く出ていた速
力が一気に六ノットまで低下した。
そこに大和からの第二撃が炸裂。中央部上構を連続して抉り取った二発の着弾は、煙
突が存在していた位置に中甲板まで届く大穴を開ける。撃ち返した十四インチ弾は明後
日の方向に消えていった。心臓部を丸裸にされて停止したペンシルバニアに対し、第三
射が放たれる。直撃弾は三発。前檣楼から後の上部構造物が吹き飛ばされ、バーベット
の半分以上を齧り取られたA砲塔が艦首方向に向かって横倒しになり、既に停止してい
た右舷二軸のタービンが残骸となった。あおりを食って、船殻水中部分にまで何箇所も
の亀裂が入る。
「ばっ……化け物だ!」
報告を受けたペンシルバニアの艦長は震え上がった。直撃を受けた個所ばかりでな
く、近辺の船殻まで引き裂いていくとは。
隔壁ごと毟り取られた船殻の亀裂から、ペンシルバニアは二五〇〇トンに達する海水
を一気に飲み込んだ。
「左舷注水! 隔壁閉鎖!」
「だめです、間に合いません!」
「傾斜、五度を超えました! 揚弾機使用不能!」
「畜生!」
砲術長が卓を殴りつける。せっかく十四インチ砲でもモンスターに通用する距離まで
詰めたのに、ここまでなのか。
そのとき、彼はふと気付いた。四斉射目が飛んでこないのは何故だ?
「右砲戦! 主砲旋回急げ!」
重量二五〇〇トンの構造物が、慌しく旋回する。
大和は、砲火の止まったペンシルバニアに構っていられる状態ではなかった。先ほど
全速航進で引き離したウェイラー少将直率の本隊が、追いついてきたのだ。
周囲に着弾。六本の水柱が上がる。
「敵艦はカリフォルニア級! 後方にメリーランド級二!」
単縦陣回頭の手間を嫌ったウェイラー少将は一斉旋回頭で大和を急追してきた。その
結果隊列は前後が入れ替わり、カリフォルニアを先頭にメリーランド、最後尾に旗艦ウ
ェストバージニアの順で後続している。
「カリフォルニア、射撃開始しました」
「距離、一二〇〇〇ヤード!」
「よし、詰められたぞ! ファイア!」
「オーケー、こっちも捕まえた! モンスターに引導を渡せ!」
メリーランドとウェストバージニアの姉妹が、釣瓶打ちに十六インチ砲弾を放った。
右舷やや後方からの好射点。初弾からいきなり夾叉。クルー達の歓声が上がる。
だが、大和にとってはその程度のことではかすり傷にすらならない。メリーランド達
が再装填を終える前に、大和の四六サンチが咆哮。カリフォルニアの舷側に大穴が開
き、叩き潰された両用砲塔が火を噴いた。
その直後に米戦艦群の第二射。距離が近いため、着弾までの時間はきわめて短い。大
和の右舷側に一発、二番砲塔の前楯にもう一発の直撃が生じた。だが、彼女の堅牢な装
甲はこのダメージを通さない。
「畜生! 奴は不死身か!」
メリーランドの見張長が罵る。サンベルナルジノ突破以来、大和に生じた命中弾は各
種口径あわせて五十発近くに達していた。だが、それでもなお彼女は十分すぎるほどの
戦闘力を残している。
「これでも通らんのか! もっと距離を詰めろ!」
ウェイラー少将が叫んだ。
大抵の戦艦の設計指針の例に漏れず、大和級戦艦の装甲防御は「自艦の主砲による決
戦距離での砲撃に耐えうるもの」とされていた。だが、日本海軍が大和級の図面を引く
にあたって見積もった四六サンチ砲弾の貫徹力は、実際の値よりもやや過大なものだっ
た。
その結果、大和級戦艦の装甲厚は舷側で傾斜四一〇ミリ、甲板で二〇〇ミリという、
他の艦とは一線を隔した値となっていた。
彼らが直面している防御装甲は、そのような代物だった。
「まだ弾いてやがるぞ!?」
一〇五〇〇ヤードから放たれた十二発の十六インチ弾のうち、目標である大和に命中
したのは三発。一発は艦尾の非装甲区画を貫通して水上機格納庫に小規模な火災を発生
させ、もう一発が上構中央部に破孔を開けたが、残りの一発は舷側のアーマーに弾かれ
て消えた。
ウェイラー少将をはじめ、米艦隊将兵の誰もが戦慄の表情とともに呆れかえった。
無論、モンスターとてダメージは負っているのだろう。うねるようにねじくれた艦首
部や中途で叩き折られた後部砲塔の主砲身を見れば、それは遠目にも判る。
だが、奴が実際に受けているダメージは見た目ほどではないのではないか?
そんな疑問を抱いたものは少なくなかった。なにしろ、現に大和は前部砲塔からこち
らに向かって景気よく巨弾を放って来るのだ。
「畜生、いい加減にくたばれ!」
ウェストバージニアの砲術長が、ヤケクソ気味に叫んで方位盤射撃装置のトリガーを
引いた。射距離九七〇〇ヤード。直撃弾一発が生じ、大和の一番砲塔直前の露天甲板と
上甲板の間に飛び込んで炸裂。クレバスのような破孔を出現させた。
米軍将兵の感想はともかく、大和のほうでも決して楽な戦はしていなかった。
過剰なまでの重防御とはいえ、それが施されているのは限られた主要区画だけの話。
それ以外の区画の大半は、軽巡か駆逐艦並みの耐弾力しか持っていないのだ。
問題は、その部分に被弾したことによって生じた大規模な火災だった。とくに艦首部
の艦内区画は、火の回っていないところを探すほうが難しいのではないかと内務班員達
が錯覚するほどの状況だ。舳先、シア部前半、一番砲塔直前と三箇所が斧を振り下ろさ
れたようにざっくりと横方向に裂かれ、簾のように開いた数多くの破孔からは噴煙のよ
うな闇灰色の煙が濛々と湧き出している。
「艦首部、浸水止まりません!」
「速力、十ノットが限界です!」
弾幕射撃のようなペースで被害報告が次々と飛び込むたびに、大和の寿命は確実に削
り取られていく。撃ち返される四六サンチ弾もまたカリフォルニアの舷側を抉り、上構
を片っ端からなぎ倒してはいたが、既に受けているダメージの絶対値が違いすぎる。
「だんちゃーく! 命中三!」
双眼鏡の向こうに捉えたカリフォルニアは、後甲板で火柱が上がるほどの大火災を起
こしていた。だが、前甲板の主砲は未だに砲撃を止めようとしない。おまけに、カリフ
ォルニアの後方には、さらに有力な戦艦が二隻も控えている。
実効戦闘力の落ちた大和にとっては、この劣勢は死活問題となりつつあった。このま
までは、敵戦艦一隻を仕留める前に艦の死命に関わる被害が生じかねない。
「カリフォルニア、面舵に変針」
「何をやっとる!」
ウェイラー少将の怒声に報告が続く。
「信号旗が上がっています!『我、舵故障!』」
──くそっ、また一隻減った。
前を行くメリーランドの向こうに見えるカリフォルニアの姿を見て、ウェイラー少将
は思わず目を瞬いた。煙突が二本に増えたような印象を受けたからだ。
無論、それは彼の錯覚に過ぎなかった。本来の煙突の後方から濛々と煙を吐き出して
いるのは、ターレットの構造物を完全に失ったX砲塔の残骸だった。そこから艦尾にか
けての舷側には、さらに二個の大穴が貫通している。
ウェイラー少将の目の前で、カリフォルニアにはさらに三発の命中が生じた。舷側装
甲を貫徹した二発が上構を真下から粉砕して空中高く放り投げ、艦橋上部を襲った一発
は、前檣楼基部を対空射撃指揮所ごと吹き飛ばし、艦橋に向けて倒壊させた。
指揮系統を潰されたカリフォルニアは、それでもなお前部砲塔から斉射を放ったもの
の、その数十秒後に降って来た四六サンチ弾が水線下をぶち抜いて発電機を停止させた
ことによって、完全に沈黙させられてしまった。
全艦炎に包まれたカリフォルニアが動きを止めるのを見届けたかのように、大和の前
甲板に並んだ三連装砲塔が後方のメリーランドとウェストバージニアを睨む。ウェイ
ラー少将は、氷よりも冷たいなにものかが背筋を駆け降りるのを感じた。自分の乗艦が
行った斉射の轟音と振動にも、まったく気づかないほどの動揺ぶりだ。
そのため、その戦果は唐突に現れたように見えた。
大和の二番砲塔後方の右舷側に青白い閃光が走り、大ぶりの破片が多数飛散した。こ
れまでの命中弾では見られなかった反応だった。
米戦艦艦上の将兵の視線が集中する。
続いて、かつて一番副砲塔が存在していた位置から、真っ赤な火炎が渦を巻いて垂直
上方に向かって突き上げた。
六四〇〇〇トンの巨体を有する巨獣が放つ悲鳴のような轟音が、戦場を揺るがした。
閃光と火炎の中から姿を現した大和を見て、ウェイラー達は呆気に取られた。
つい今しがたまでありとあらゆる砲撃を弾き返し続けていた艦中央部の様子が、それ
までとまったく異なるものに変化していたからだ。
モンスターの持つ強大な戦闘力を象徴しているかのようだった前檣楼は、夜戦艦橋の
あたりをごっそりと抉られ、前のめりになっている。
さらに、右舷を指向していた二番砲塔は側面の装甲板をまるごと剥ぎ取られ、バーベ
ットもろとも艦橋に向かって倒壊していた。その下から、猛烈な勢いで火災炎と灰色の
煙が立ち昇っている。
遠目にもはっきりと、大和の指揮能力と砲戦能力に重大なダメージが及んだことが見
て取れる状況だった。
「やった……の、か……?」
誰かが、恐る恐るといった調子で口にする。
「……そうだ、俺達はやったんだ……!」
その一言をきっかけに、戸惑ったような感嘆の声がメリーランドとウェストバージニ
アの艦上を満たした。それまで不死身と思われていたモンスターが示した艦容の変化と
は、それほどまでに強烈なインパクトを持っていた。
なかば放心状態に近いところから米艦隊の将兵を現実に引き戻したのは、至近で発生
した轟音だった。
メリーランドの左舷に水柱が立つのを見て、ウェイラーは自分たちの油断を悟った。
爆発から暫く動きを止めていた大和の一番砲塔が急旋回し、射撃を再開していた。深手
を負った巨獣は、しかし、まだ戦意も行動能力も失ってはいなかったのだ。