#39/598 ●長編 *** コメント #38 ***
★タイトル (RAD ) 01/12/15 20:16 (169)
【OBORO】 =第4幕・異形胎動= (10/17) 悠歩
★内容
「麗花お姉ちゃん!」
どのような不意打ちにも後れをとる麗菜ではなかったが、欠片すら邪気を持た
ない少女の動きに、全く反応出来なかった。
朧の四姉妹、いや三姉妹の中で真に恐るべきは、この子なのかも知れない。
少女の温もりと体重とを己の首に感じながら、麗菜は半ば冗談に、半ば本気に
考えていた。
『なるほどね………』
麗菜は合点し、一人呟く。
少女は麗菜を姉の麗花と勘違いしているのだ。
たぶん、少女は知らないのであろう。
麗花と少女が血の繋がった姉妹ではないことを。
麗菜の存在を。
麗菜は改めて思う。
実の姉妹と思い込み、長く時間を共にしていた少女が思い違えるほどに似た、
麗菜の姉を自らの手で死なせてしまったことを。
後悔はしない。していない。
しかし納得も出来ない、複雑な感情が麗菜の胸中に染みてくる。
「お姉ちゃん………おね、ちゃん………おね、ち……」
少女の声に、麗菜は己の想いの世界より帰る。
気づくと、熱い少女の温もりに包まれていた首筋から胸の辺りが冷たくなって
いた。それが少女の流した涙のためであると、すぐに知れる。
「いきて………生きて、た……だね。おねちゃ、いきてた………」
幼子は頑なである。
自分の思い込みの不自然さに、気がつくことが簡単に出来ない。たとえ出来て
も、思い込みを修正しようとはしない。
己の命を断とうとしている麗菜を、とうに命を断たれた麗花だと信じ込み、た
だただ縋って泣きじゃくる。
「泣かないで、泣かないでね、真月」
「おね……おねちゃ……うあああん」
優しく声を掛けてやると、さらに少女は火がついたように泣いた。
しかしそれもあと数秒間のこと。
麗菜の手が、少女の髪をそっと撫で上げる。
そして少女に永遠の静かさを与えるべく、麗菜の手は頭から首筋へと下ろされ
て行った。
いずこからか湧き出た雲が、放って置いてもすぐに訪れたはずである夜の時間
を早めた。
しかし雲が運んで来た夜は、静けさに包まれた闇ではない。バケツの底を連打
するような騒音、激しい雨を連れて来た。
雨は自らの騒音にくわえ、更なるサウンドを刻む。
目も眩むばかりの閃光を伴う爆音。
――稲妻――
この季節、稲穂が実る頃に多く見られることから命名されたと言う由来に相応
しく、闇を左右に分かつ光の軌跡が天に出現した。
暗中に雨のパーカッション。 突如響き渡る、閃光のドラム。
狂想的な楽曲は、聴く者の心拍数を早める。
苦痛を切迫感が上回った。
「間違いだ………なんかの間違いだよ………」
それは呟きよりも呻きに近い。
部屋に明かりを灯す間もなく訪れた闇の中で、大野佳美は身を震わせていた。
静寂の中においても充分衝撃的であろうことが、雷光によってさらに過剰演出さ
れる。
佳美が手にしていたのは、人目を避け、店員の好奇に満ちた視線に耐えながら
買い求めたものだった。もっとも後者は羞恥のあまりに、佳美が感じた被害妄想
なのかも知れない。 妊娠検査薬。 その結果は陽性反応を示していた。
若者の性に対する意識は、大きく変わったと言う。結婚するまで、純潔を守り
通す。セックスの相手は生涯配偶者である男性一人のみ。そうした考えはもう過
去の遺物となりつつある。
しかしながら高校生である少女が身篭ってしまうことは、周囲にも、何より本
人にとって充分に衝撃的であった。
まして佳美にとって、男性経験はまだ一人しかない。それも望まぬ相手に受け
た陵辱。妊娠検査薬が示す、佳美の胎内に在るという命は田邊克俊の血を継ぐ者
なのだ。
子を宿したという事実に、何ら感動も感慨もない。あの忌まわしき体験が、さ
らに深くおぞましいものとして延長されただけである。
佳美は強く頭を振る。
何かの間違いだ。
妊娠検査薬とて絶対ではないはず。事件後訪れない生理も、精神の障害が身体
にも影響を及ぼしているのだ。そう思おうとして。
一瞬、雨の音が止まったような気がした。
続いてストロボを焚いたかのような閃光が室内を包み込む。間を置かずして轟
音が響き渡る。近くに雷が落ちたのだろう。
突如の轟音に、佳美の耳は機能を失う。再び佳美の耳が雨音を捉えたのは、そ
れから数秒を経てのことだった。
『くらぁい〜まっくうすう〜』
全身が粟立つ。不快というより、おぞましいといったほうが正しい。
閃光が遠のくなか、闇に在ってさらにどす黒い染みを滲ませる声が、佳美の耳
へ届いた。
途端、胃の中の液体が咽元へ、さらには口腔へと逆流をする。
「………!!」
吐き出した胃液と共に、音声を伴わない悲鳴がこぼれた。
聞き違えるはずもない。
佳美の耳の奥、脳裏へと深く刻まれた声。
憎むべき、陵辱者の声。
それは佳美の腹中より聞こえて来た。
『なにを驚いてるのさ、大野さん………っと、ごめん。他人行儀だったね、こん
な呼び方』
背筋が凍りつく。
それでなくとも陵辱の果ての妊娠という、過ぎるほどに充分衝撃的な出来事で
ある。しかもお腹の中の子が、あの田邊の声、田邊の口調で語りかけている。こ
のまま心臓が停止しても不思議ではないほど、佳美の動悸は激しくなっていた。
『お母さん』
混乱と恐慌。
佳美は冷汗が、言葉通りに冷たいものなのだと知る。
如何なる手段を用いたかは分からない。だが、佳美が宿した生命は田邊の子で
はなく、田邊そのものだったのだ。
激しくなった動悸は、膨大な量の血液を頭へと送り込む。必要量を超えた血流
に、脳の働きが着いて行けない。佳美はこのまま意識を保ちつづけることが困難
となっていた。
――寄生――
消え入りそうな意識の中、そんな単語が佳美の頭に浮かぶ。
『それにしても、最近のお母さん、女ぽくなったよねぇ………仕草も、話し方も』
特別な言葉を発しなくても、ただそれだけで淫猥な田邊の声。その声で『お母
さん』と呼ばれる度、辛うじて保たれている佳美の意識は死を求め、消えそうに
なる。
しかし佳美の苦悩を無視し、田邊は話し続けた。
『やっぱり、男を経験したから、かな』
微塵も無く希望が消えて行く。
希望と共に佳美の意識も、周囲の闇よりさらに暗い闇へと消えて行った。
残暑もそろそろ記憶の彼方へと去りつつある。そんな過ごし易い気候が数日続
いていた。それが今朝から、優一郎の気持ちを象徴するが如く、蒸し暑さがぶり
返す。こちらが一方的に顔見知りとなったつもりのニュースキャスターが、今日
は真夏並の暑さだと爽やかに不快な事実を告げてくれた。
夕刻になり、突然降り始めた雨は一時、気温を下げてくれた。しかし数刻後、
雨によって増した湿度が不快指数を上げることとなる。
『今夜は熱帯夜になりそうだ』
首筋を掻き毟りながら優一郎は思う。
涼を求め、開け放した窓より侵入した蚊に刺されたらしい。
虫刺されの薬は、どこに置いただろう。
Tシャツに短パン姿のまま大の字になった優一郎は、薬を求めて立つことも鬱
陶しく、首筋を掻きつづける。が、掻けば掻くほどに痒さは増して行く。さらに
は痛みも加わり、ついには音を上げ、渋々と立ち上がった。ところが薬は容易に
見つからない。はたして前回使用したのはいつのことだったか。季節はずれな蚊
の所業に苛々しながら、薬を探し求めた。
ようやくテレビ横、ビデオテープの山に埋もれた軟膏タイプの薬を見つけ、患
部へ塗りつける。しばらくして痒みが収まると苛立ちも収まって来た。
気持ちが収まると苛立ちに変わって、蚊に刺される前、優一郎を包み込んでいた
陰鬱さが蘇る。
先日、部屋を訪ねて来た美鳥から聞かされた話。
朧と【日龍】、そして異形の話。
あまりにも突飛な話。
おそらくその話を優一郎以外の者が聞かされたのなら、十人が十人、真に受け
ることはないだろう。想像力豊かな、あるいは思い込みの激しい少女の作り話と
して聞き流していたに違いない。
優一郎とて、二ヶ月も前であったならそうしていたはずだ。
けれど今の優一郎にそれは出来ない。
夏休みに訪れた朧月の家。そこで体験した出来事が、美鳥の話を作り事と笑う
ことを許さない。
「覚えてる? ………よね。前にも、こんなふうにして、優一郎に裸を見せたこ
と」
後半は口篭もって、はっきりと聞き取れなかった。すっかりと服装を正し終え
たあとの、美鳥の台詞だった。
「えっ………あ、ああ、あの………」
返す優一郎の言葉は続かない。あの晩のことより、つい先刻、美鳥が部屋を訪
ねて来るまでの興奮を思い出してしまい、恥ずかしくなった。
「あれはね、優一郎のことが好きだったから、じゃないの。優一郎の子が欲しか
ったの」
それは優一郎をさらに恥ずかしくさせる言葉であったが、当の美鳥は何かを吹
っ切ったらしい。まだうっすらと頬に紅みを残しつつも、表情からは恥じらいが
消えていた。
そんな美鳥を見て、優一郎も顔を引き締める。その様子から、美鳥が語ろうと
しているのは、決して言葉から瞬間的に想像してしまうことではない。もっと深
い理由があるのだと察したからである。
美鳥、いや美鳥たち朧が欲したのは優一郎よりさらに強い【日龍】の血を引く
者。朧と【日龍】。二つの血の間に生まれた男子は、より強い【日龍】の力を持
つのだと言う。生まれてきた子を、異形の完全体と戦う戦士とする。それが麗花、
美鳥の姉妹の立てた計画だったのだ。
「そいつはまた、えらく悠長な計画だな」
本来なら腹を立ててもおかしくない話であったが、ただただ呆れて優一郎は言
った。怪物と化した田邊との戦いを経験したことが、優一郎の心を少し、強くし
ていたのかも知れない。美鳥たち姉妹を、無茶とも思える行動に走らせるほどに、
その異形の存在は切羽詰ったものなのだ。